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すでに国境はない。
SARAVAH東京に行った。
清水靖晃さんとマイア・バルーちゃんのライヴを観に。

サラヴァ東京はあのフランス映画「男と女」で有名な
ピエール・バルー氏の東京での拠点として
昨年末に渋谷にオープンした。
そう、マイアちゃんはそのピエールと日本女性あつこさんのお嬢さんだ。

靖晃さんは80年代、パリを中心に活動しており
多国籍なミュージシャンとコラボレーションを続けていた。
当時のパリはアフリカをはじめとする移民たちの文化が花開き
その後ワールドミュージックと呼ばれる音楽が
日々至るところで形成しつつあった。
そのミクスチャーの先駆け的な存在がピエールだった。

ピエールと靖晃さんはそのパリで親交を厚くし
マイアちゃんはそのころ生まれた。
彼女はボヘミアン的な父の気質をしっかりと受け継ぎ
彼女の中の音楽は国籍を超えた血そのものとなった。

その二人がここに集う。

彼女は歌った。
父ピエールと靖晃さんが作った歌を。
「ベルリンの壁はいらない」と。

そう、当時まだ東西冷戦状態でベルリンには壁があった。
ルーブルのピラミッドは建設中だった。
(あのピラミッドの完成によってパリは聖都として完成したと私は思っている。)

だが、すでに彼らには壁はなかった。
その当時から。

20年以上の時を経て
当時の熱さが彼女の若さによって蘇る。

ステージ脇でピエールがうれしそうに目を細め
映像を記録していた。

素晴らしい夜だった。

私の中の楽しく美しい記憶も蘇る。

実は、靖晃さんは私のパリの大家さんである。
80年代末ごろ、
彼の東京での凱旋ライヴのときに
私は衣装と美術をお手伝いさせていただき
そのご縁で
そののち彼がロンドンにレコーディングで渡っているあいだの
パリのアパートを私は留守番がてら借りていた。

90年代、彼は拠点を東京に戻し
私は自分の仕事の合間に
立ち上げたばかりの彼の会社を
ひとり切り盛りしていた彼のイタリア人の奥さんのお手伝いで
おうちにちょくちょく顔を出していた。
ステージ衣装を選んだり
難しい日本語の書類を説明したり
パスタのおいしい作り方を教えていただいたり。。。
それはそれは楽しく豊かな日々だった。

そんな頃、ピエールはその靖晃さんの自宅スタジオで
レコーディングを度々繰り返していて
幼いマイアちゃんを連れて来たこともあった。

その頃おうちのあった中野の
ごく一般的な日本家屋の引き戸の向こうから
ピエールのフランス語の
なまの歌声が漏れ聴こえてくる。

リアルな無国籍感。

そんな思い出を
サラヴァ東京は
見事にいまここに存在させている。

パリ〜東京、そしてコスモポリタンの集いの場として
ここは国境を越えている。

楽しい場所が出来たものだ。

今宵の音楽に
ふたたび会えた多くの友人たちに
感謝と喜びで
きょうは眠れないでいる。



SARAVAH東京



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